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しなければ分からないこと

 

昨年の今頃、友人の水彩画家との縁で、公募展に参加することに決めた。

ずっと公募団体嫌いを唱えていた私にしてみたら、晴天の霹靂である。

それまで所属していたアートプロモーションを辞めて他に礎が欲しくなったこともある。

日本水彩画会という老舗の会に決めると、早速推薦してもらい、あれよあれという間に、一か月で50号の大作を描くことに。

何も内内の事情を知らぬまま、ただただいつもの何倍も筆を重ねて毎日向き合った。思えば、30号以上の絵は油絵以来。水彩絵の具は全然深くなってくれず、かといって透明感は残って欲しいし、もう、これ以上は…というところまで描いて、そのまま出品した。

どうなんだろう、と思っていたが、驚くかな、入選した上に賞まで頂いた。

 

東京都美術館に展示を見に行く。

かの壁に、自分の拙作が架かっているのを見たときは、本当に胸が打ち震えた。描いてきて良かった!と素直に

心から思った。こんな年齢になっても、このように気持ちが高まる経験ができるのは、幸せなことである。

描ければ嬉しくて、褒められればなお嬉しい、求められれば感謝して、それで充分だと思っていたが、こういう

ご褒美もあるのだと気づいて、これだけは、体験しないと分からなかったことだと、それまでの公募嫌いを恥じた

私であります。

「若き惑い」50号 第109回日本水彩画会 奨励賞

 


3月4日からの展示会には、コロナ騒ぎに火がつき始めた頃だったにも関わらず、多くの方にご高覧いただき、心より感謝致します。

さて、この老夫婦の絵もこの展示会の為に描いた一枚である。

夫を早くになくした自分にとって夢の風景だというコメントと共にSNSにも投稿したので、

この作品に興味を抱く、同じ立場の方が遠方からも来てくださった。

この絵をお求めになられたのは、まだ、お子さんも大きくはない女性の方。

引渡しの際に、ご自身は、闘病の末にお父様お母様を相次いで亡くされ、その後もお父様の事業を引き継ぎ大層ご苦労されたとの話しを、ニコニコ屈託なく話されていた。

ご両親の思い出と、ご自身夫婦がこうでありたいとの思いがあるとのこと。

良い人の元へ行ったなとしみじみ思った。

ふさわしい場所でこの絵が息づくことに感謝して、描いてよかったと素直に思えた。

作家冥利というのは、こういうことかも知れない。

ありがとうございます。

 

 

 


ああ!紙様!

 

 

水彩画において、絵の具、筆、紙と、ピンからキリまで種類がある。

 

凄くお高いものでも、そうでなくても、自分の描き方との相性がとても大事で、

How to本で推奨しているものが自分に合っているとは限らないのである。

 

私は、筆にはあまりこだわらなくて、毛先がバサついていなければ、アクリルでも純毛でも

子供が使うお絵かきセットの筆だって大丈夫。

なので、大抵生徒さんの持っている筆の方が高級で、たまに使うと「わ~~これすごくいいのね~~」と口に出てしまう。

かといって、それを買ってくるわけでもなく、自分の絵は相変わらず安い筆で描いている。

 

でも!

紙は違う。紙に対しては湯水のように出費を許す。

何故なら、絶好の「にじみ」を求めているから。

にじみというのは、ほとんど偶然に任せて生み出されるものだが、水の量、絵の具の濃度、筆圧、筆運びで

ある程度は操作できる。

その時、紙に含まれている水分量が大きなポイントになるのだ。

良質な水彩紙は、たっぷりの水を紙の内部に抱え込んでくれる。

乾くまで時間がかかるので、その経過毎ににじみ方が変化する。

それを利用して今、この時はここを!もう少し乾いたところでこれを!…

というように、紙のしめり方を見守りながら、ご機嫌をとるみたいに段取るわけだ。

勿論、見当違いのにじみになってしまう事もたまにはある。

なにせ、紙の水量なんて見えないからね。

すべて長年の勘どころに頼る。

その勘が当たって、見当をつけた以上の素晴らしい偶然のにじみを戴いた時の嬉しさは、ほんとに格別である。

 

水彩の神様、今、真上にいらっしゃるな…なんて思う。


美術教師

 

とあるQ&Aサイトでこんな質問があった。

「絵を描くのが下手な人はどうすれば上手に描けるようになりますか?」

と。これに対して「何か答えたらないかん!」という使命感が湧いて、こう回答をした。

 

本当は、上手いとか下手とかがそもそもないのかも知れません。

ただ、思い描いたように描きたいのなら、まず、絵を描くことや、観ることを「好きだな、面白いな」と

思うとこからが始まりです。

でも、大抵の人は、初めに失敗して思通りに描けなかったりすると、興味を失ってしまいます。

興味を失ったまま臨んで、更に評価が低くければ、今度は「嫌い」ということになって、もう二度と近寄れません。

「描くことが好き」な人は、描き続けて行くうちに学ぶ技が、作品の完成度を上げていくものです。

そうです。面白いなと思ったら、次に続けることです。

 

紙に描いたただの円も、影をつければ平面から立ちあがってきます。

更に影の深度を上げれば、円から球に生まれ変わります。

 

こういうところが、絵の面白さだと思うのです。

是非、絵画を沢山観て、好きなジャンルを見つけてください。

そして、今度は自分で描いてみてください。

10人いたら、10通りの素晴らしい絵が生まれます。

私は、そうやって人から生まれてくる絵を観るのが楽しみで、絵画教師をしています。

 

私を知らぬ人が読む文なので、いささか気取った言い回しではあるが、でも本当にそう思っている。

 

それに対して、「中学の時の美術の先生を懐かしく思い出しました。」というコメントがついた。

誰の絵に対しても良いところを見出だして褒める先生でした、と。

そこで、私は自分に当たった美術教師の面々を思いおこしてみると、たいていは、あまり褒めず、

自分の感性に合った生徒しか持ち上げない気質の先生ばっかりだった事に気づいた。

しかも皮肉にも、その先生の一言ですっかり図に乗って突き進み、ひいては絵を描くことを職業にしてしまった自分が

あるわけで、

改めて、ありがたくもあり、恐ろしくもあり、そして更に恐ろしくもありで、そして小さくぶるっと震えた。


思い出を描くということ

 

絵にも描けない美しさという言葉の通り、写真でしか味わいが出ない構図や風景というのは必ずある。

なので、例えば、私は五色に輝く山の紅葉。

写真だから、あんな嘘のような色彩の連なりの奇跡が記録になると思う。

仮にとても上手く描いたとして、見た人は逆に

「うそ!うそ!こんな色合いありえへん!絵は好きなように描けるから盛ったわね」

なんて言うのではないかしらん。

と、このように、色々描かないようにしているものが実はあったりする。

その一つに、「THE有名観光地」がある。

縁起がよくても赤富士は描いたことはない私。

観光地も私にとっては、写真でいいじゃない?の分野である。

こんな日差し、でこんな角度で、広角レンズだって、ドローン撮影だっていけちゃいますよ!っていう写真にお任せするに限る。

そんなところに、こんな依頼が舞い込んだ。お題は

 

「横浜大桟橋から見たみなとみらいの風景。ランドマークから横浜三塔まで」

 

奥行きが出せない上下の対称構図で、しかもオーダーの範囲が広くて全て入れると、

建物部分が空と海に挟まれた線のようになってしまう。

と、現地を眺めて内心冷や汗が出た。

が、「任せてください!」と引き受けた。

依頼主が、今は亡きお連れ合いと、毎日のように散歩して見た思い出の風景ということ。

すなわち、描くのは風景でなく思い出ということだ。

お気持ちを探りあぐねて、一枚書描き損じたが、最終的にこのようになった。

 

「申し訳ありませんが、絵は最終的に燃やします。」

 

とのお言葉!

お連れ合いの生前からお二人で探していた風景画。

ご本人が亡くなる時に一緒に棺の中に入れてもらい、お連れ合いに見せるのだという。

まさに冥土の土産。

よござんす。いいお話ではありませんか。

 

実は、この絵、最後に桟橋に佇むお二人連れのシルエットを描き加えた。

これこそ、写真でなく絵の良さである。

「絵は好きなように描けるから盛ったわね」

そう。絵の中でこの先もずっと散歩していられるように仕上げました


オカルト教室

 

 

生徒さんの描いている絵に加筆する際に「ここは赤があるので、入れましょう」と

筆でカーマインを取る。

色を置く先が、例えば花の葉の部分だったりすると教室は大騒ぎになる。

「えええええ?!葉っぱなのに赤?赤が見えるんですか?」

「そうそう。あるよ~。赤が。」

「私には見えませんっ!」

 

習い始めの生徒さんの絵を指導するときは、間違い探しである。

たいていあるべき影がなかったりする。影というのは実体がないから慣れないとうっかり

忘れちゃう。

その描き忘れた影を、私がさっと入れると、絵がたちまち立ってくるわけである。

「わ~~~~!一筆で変わった~~~~!」

「それが影の役割なんです」

だが、みなさん、影のことなどどうでもいいよう。

「魔法だ!魔法の手だ!」

「三沢マジックだ!」

と、遂には、仕上げの時に

「魔法をかけてください!」と持ってくる方も。

 

先生は見えないものが見えて、魔法の力をもっていると言えば、きっとどんなオカルト教室に通っているのだと

他から心配されるんだろうな~と思いながら、くっくと笑う。

 

実は、一番最初の授業から、物の形は光と影を上手く拾うとおのずと出来上がる、と話しているのだけれど、

ちゃんと理解して描けるようになるのには少し時間がかかる。

描けるようになれば、もう、それを魔法なんて言わない。

いつの間にか自分で魔法のように二次元を立体に変えられるようになるのである。

 

画像は、とある住職からのご注文の扇子。

絹でなく紙の出来上がりのお品に描くことになった。

山歩きがご趣味で自然が大好き、特に水のあるところに癒される。

青を基調にと、こんな情報を頂いて描いた。

紙だが、出来上がり品なので、水が使えない。結局これは色鉛筆を選択した。

色鉛筆作品は初めてかも知れない。

と、さらっと言うほど簡単でなく、なかなか苦戦であった。

オカルトではないが、「降りてきてください!」と唱えたい気持ちで描いた。

それだけに納品後喜んでくださったという話はとてつもなく嬉しいものである。

 

ありがたくも依頼が立て続いている。

次も難関である。どんな黒魔術を使おうか思案中。

ふっふっふ。

 

 

染め展の話し⑤

3月に入って京都の染め作家さんお二人とのグループ展があり、その告知を兼ねてfacebookに投稿した文を転載します。

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 作家が商売するということ。そしてお礼。

プレイベントの源氏物語から始まった染めの展示を無事終えることができました。
これからお礼状の作成に入りますが、FBの場でしかお伝えできない方々に、この場をお借りしてご高覧のお礼を申し上げます。
誠に有り難うございました。
いつもながら、貴重なお時間を割いてお運びいただき、更に色々な刺激をくださる皆様には、感謝の言葉しかありません。

ただただ表現したい水彩画と違い、染物の場合は、作品と同時に商品でもあるという狭間の内で揺れます。
使ってもらってナンボということです。もっと直接的に言うのであればご購入いただくのが目的です。
しかしながら、自身は作家であり、商売人でないところに葛藤が生まれます。
観ていただき好評であればにんまり満足な自分と「気に入ったら買ってね~」とひっそり思う自分との鬩ぎあいなわけです。
似ているようで、離れた思いです。
これは、陶芸などの工芸作品につきもののあるあるかも知れません。
どうしても相場より高価になってしまうのではありますが、それでも構わんよとご購入いただくことが、最高の評価だと思うようにしています。
「嬉しい!さんきゅ~~」とか言っている裏で、そんな風に勝手に葛藤しておおおおおおお。と揺れています。ははは。

お陰さまで今回は、多くの方に観ていただき、更にご購入、ご注文まで承りました。
尾崎さんも長田さんも、ご同様でありました。
重ねて御礼を申し上げます。
作ったものを気に入って手元においていただける幸せ、永く使っていただける幸せをかみ締めて、
次なる作品を作成して参ります。

 

染め展の話し④

3月に入って京都の染め作家さんお二人とのグループ展があり、その告知を兼ねてfacebookに投稿した文を転載します。

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 モノたちの声

本日は搬入でした。
いよいよ明後日から展示会が始まります。
そして明日は、以前にお知らせをしました、源氏物語の京語りの会のイベントがあります。
おかげさまで多くの方に参加のご予約を頂きまして、早い時期から完売だったようです。嬉しいなー。
誠にありがとうございます。
濃度の高いひと時である事と思います。

搬入時というのは、前の展示の搬出でもあります。当たり前の事ですが、展示物が違うので、同じ部屋なのに空気がガラリと変わります。
今回、私達の前は水彩画のグループの展示でした。
張りつめたような清潔な静寂感のある会場でした。
そして入れ替わりに私達の作品が並ぶと一気に部屋が、見えないおしゃべりで姦しくなりました。
面白いなーと思います。
作品はただの「モノ」ですが、作り出す時に作家の思いが積もるので、モノのくせに雄弁です。そんなわけで、数が揃ってなお存在を主張して、思いの外の顔になってるなーと感じながら会場を後にしました。

皆様の気持ちにはどんな風に届くか楽しみです。
宜しくお願い致します。

染め展の話し③

3月に入って京都の染め作家さんお二人とのグループ展があり、その告知を兼ねてfacebookに投稿した文を転載します。

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 家族の肖像 

当初の予定では、現在の地点で全ての作品が完成しているはずの私は、アカデミー受賞作品を全て観たり、仲間の展示会に出かけたりして優雅に過ごしているのですが、お約束のようなパプニングのせいで、未だにそして益々修羅場の中にいます。
実際、間に合うかどうかの瀬戸際で、実にスリリングであります。

さて、少し前、テレビ番組で八木恵梨さんという藝大生の作品を観て、いたく関心をひかれました。
20年前にトゥームレーダーの映画版を観て以来アンジェリーナジョリーに憧れているという自分の母親に、その扮装をコスプレさせて、色々なポーズをスケッチしたものが作品です。
当時は知りえませんが、今では、アンジーとは程遠くなってしまった外見のお母さんが、タンクトップを着て玩具の小銃など構えたり、鋭い目をしたり、時々猫を抱いたり、大根をすったりへたりこんだりしています。
それが、とてつもなくキュートであります。
これを母の方の目線で言うと、小さい頃から絵が好きだった娘の才能が、それを極める過程で、自分のエピソードをモチーフに、こういう形で開花するとは思わなかったかも知れません。

こりゃ面白い!と思った私も、今回の展示会のプライスカードに父の姿を漫画にして使おうかと考えました。
父は描き易い顔だし、毎日観ているのですぐに描ける。実際オヤジ図鑑みたいに沢山描けました。
ま、プライスカードとしては意味もないのですが、お客様がちょっと違和感を感じて見留めてくださる効果はあるかも知れません。
これが父だとすぐに分るのは、家族くらいで、妹が「あ~~」という顔が目に浮かびます。
これは父がよくするポーズ。
例えば、他人がちょっと柄にもない正義感ぶったこととか言うと、「ぷ」とこうして小さく笑います。
まあ、こんな風にシニカルに吹きだしながら、残りの人生を軽やかに生きていって欲しいと思うわけです。

染め展の話し②

3月に入って京都の染め作家さんお二人とのグループ展があり、その告知を兼ねてfacebookに投稿した文を転載します。

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 手描きと素描き

一昨年から結束したこの展は、ろうけつ染めの長田さんと、手描き友禅の尾崎さんと、素描き友禅の私の三人でやっております。
よくある質問と致しましては、「手描き」と「素描き」って何が違うん?というのがあります。
時間のない時の答えは「絵を先に描いておくか、後で描くかの違いっちゅーか…」です。
本当はそんな一言では済みません。
京都の手描き友禅といえば、制作工程が20あるとも30あるとも言われており、そのほとんどが分業で成されています。
下絵はどこどこさん、地染めはどこどこさん、のり落とし、蒸し、絵付、洗い、金彩…と
一本の反物ができるまでに、色々な人手を回ります。(お着物が高価なのもそんなわけです)
その絵付け作業を手描きでするので、手描き友禅といいます。
実は尾崎さんはその数多ある工程をほとんどお一人でこなされているのです。すごいでしょう!
生地を染める過程で絵を挿し染めるので、仕上がった反物は印刷されたように美しい。

絵付けをする際、始めに線描き部分に糊をひきます。(糸目といって防染の為)染め上がると、これが輪郭のように生地が白く残ります。
一方、この糸目を置かず、無謀にも生地に直接、ばああああああああ~~っと描いてしまうのが「素描き」です。
当然、輪郭がにじむこともあるでしょうし、とにかく、始めたら勢いで仕上げます。(と、他の作家さんはもっと慎重で繊細かも知れませんが)
これは、地染めした後にできるので、ジーンズやTシャツや立体に仕上がったものにも描けるっていう特徴がある。

私は、友禅を勉強してからやっとこ20年くらいですが、糸目のひきかたや、ぼかしの技術も地道に教わった末、先生が、
「あなたは絵が描けるのだから、それを生かして自由に描くべきよ」
と解き放ってくださって今があります。
私は、水彩画を描いて生業にしておりますが、紙を布に変えると、気がつけばそこに友禅が現れた感じです。
水彩画と友禅と言うと「色々なことしてますね」と言われたりもしますが、
かけ離れていることをしている意識はあまりありません。

ただ。

私が友禅を勉強したいと思ったきっかけは、この素晴らしい日本の伝統を絶やしたくないという強い思いが根底にあります。
京都でも、ベテランの職人さんが後継者がおらず仕事を〆てしまう時代に入ってきました。
私が今、中学生だったら、住み込みで弟子になりたいくらい。
それができないなら、せめて本場でもない片隅にて、ちょこまかと作品を染め、時々今回のように皆さまのお目に触れるような機会を設ける…
そんなことを続けていきたいのです。

染め展の話し①

3月に入って京都の染め作家さんお二人とのグループ展があり、その告知を兼ねてfacebookに投稿した文を転載します。

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【告知】~「時の花をかざす2018」へ向けて

先回の投稿が新年のご挨拶だったのに、もう2月。
寒いですね。
さて、
ご存知かどうか、私は、水彩画と同時に素描き友禅なるものも手がけています。
この友禅染めを通じて知り合えた、手描き本友禅とろうけつ染めの二人の作家さんがおります。
彼女らと2年前に、京都で立ち上げた「時の花をかざす」展を、今年は愛知で開催いたします。
私個人では作品を年に二回くらいのペースでチラっと発表していますが、実は、この三人展では自分の力の入れようも別格なのです。
なにせ、お二人は染めのプロフェッショナルでありますので、彼女らの作品の「格」を私の拙作で足を引っ張ってしまわないように…ということで、いい加減なものは出せません。
これから、開催までの間、展に向けてのあれこれをアップして参りますので、宜しければ、お付き合いくださいませ。

「時の花をかざす2018」日進市「森の響」 3月14日から19日まで。


アルチザン

 

 

スマホに保存した画像の整理をしていたら、

雑誌の記事をそのままメモする代わりに撮ったものが沢山出てきた。

大概は、気になった雑貨の類である。

その一つにshuo’という葬祭用のアクセサリーを扱うブランド店のものがあって、

ネットでHPに飛んでみた。

う~ん。改めて、欲しい。欲しいのは小さな黒いバッグである。

絵が何枚か売れたら、購入しよう!と心に決める。

次にHPを探したのが、石川硝子工藝舎の八角ガラス鉢である。

う~ん。益々益々狂おしい程に欲しい。

これは、名古屋にお取り扱いの店があるというらしいので

その内行ってみることに決める。

荒れ狂う物欲を一旦なだめ、静かな心で一品を購入したいものである。どうどう。

 

職人の仕事は素晴らしい。

 

昔、焼き物の街の中の一軒で、形のよい宝瓶を買ったことがある。

宝瓶とは、平たく言えば、取っ手のない急須のこと。

葉を漉す為の繊細な網目、ササメが特徴である。蓋もきっちりぴったり。

購入を決めて、レジに持って行くと、お爺さんが、「これは息子が焼いたものだ」と

誇らしげに言う。自分は代を終えたが、跡継ぎがやっとこ育ってくれたと。

微笑ましく相槌を打ちながら品物を受け取る。

と、最後に

「はいな。これ、おまけ。持っていきな。」と

コロンコロンと石のようなものを2、3個渡された。

なんだ?これ?

実は、この話しをする為に、散々実物を探したのだが、出てこなかったのが残念だ。捨てちゃったのかな?

なんというか、

例えば、

カリカリに乾きかけた粘土を直径3センチくらい適当に丸めてから、指で真ん中を押さえてつぶす。

つぶすと、水分が足りない粘土は、周りがひび割れるでしょう。

あんな感じ。それを素焼きにした感じ。真ん中に釉薬が、チッ!と汚れのように付いている。

う~ん。分るだろうか。

近いものを言うと「そばぼうろ」というお菓子をもっとガサガサにしたヤツ。

…違うな。

幼稚園以下の子供が初めて作る、粘土工作のが近いかな。

というか、子供が粘土で遊んだ後に床に落ちてたり、イスにくっついてたりする屑粘土かな。

 

とにかく、とてつもない稚拙さから、どうしても、「いらないもの感」がつきまとう。

お孫ちゃんの粘土遊びのなれの果てかな?

ただ、「これは?一体?」

という言葉だけがぐるぐると頭を駆け巡って動けない私。

 

じーーーっと手の中のモノを見ていると、お爺さんは、ニコニコとこう言った。

「わしが作った箸置きだけど、お代はいいからね」

 

せ、先代…

 

私だって職人の端くれではあるが、時に職人は理解の外である。

お礼を言って、店を出た。

 

後ですぐに陶芸家の優子ちゃんに話した(笑)

 

 

 

 


間違えられねばならぬ

 

 

 

堀越千秋氏の赤土色のスペインを読んでいる。

堀越氏はスペインのマドリードを中心に活躍された画家である。

本紙は、スペインでの生活のエッセイだが、エピソードも描写も見方も

ちょっと皮肉が効いてて、どの項もクスッと笑ってしまう。

当然画家なので、挿絵も堀越氏のもの。これがまたなんとも味があって素敵。

その中で、「!」と目を引いた言葉があった。

 

「アルテ(芸術)は間違えられねばならぬ」

 

このアンダルシアの格言を見て、セザンヌの「赤いチョッキの少年」の手前のやけに長い手を思い出した。

あるいは、モジリアニの長い首と平坦な瞳。あるいはピカソ。

そしてさまざまな画法。

絵画は、写真とは違う。「実際」を超えたものを表現したくて描いている。

たとえば細密画であっても、見る人に写真を突き抜けた何かを伝えたいはず。

よく私の作品について「写真みたいですね」と言われると、それが褒め言葉であっても、

なぜ気持ちがざわざわするのか分ったような気がした。

そして、ざわざわする自分も、そう言われる私の絵もまだまだですな~と悟る。

小手先で、上手く見える絵を良しとしないように!

間違えどころこそが気持ちを動かすように!

 

 

めったに行かない都市部のショッピング街をぶらりとしていると、あるお店に行き当たった。

Desigual

大好きなスペイン発のファストファッションの店である。え?ここに出店してたんだ!

と、中に入って、随分と印象が変わったな~と戸惑いながら、店員に勧められた財布を購入。

好みとかでなく、ブランド買いであった。

しかし!

家に帰って、財布を眺めると、そこに「DIESEL」のロゴが!!

まったく違う!国まで違う!何を見ていたのであろうか。自分の頭を打ち据えたい気分。

思い違いもはなはだしい。

これは、自分への戒めとして、きっちり使いたおします。

こういう「間違い」は、金輪際したくないものである。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                        大事にしていること

 

             はじめて描くものは、とにかくよく見ることに限る。

             生徒さんから、知らないのに描けるんですね。と言われることがあるが、

             実は知らないものは描けません。過去に同じ類を沢山描いてきたので、

             こういう光ならここにこんな影ができるだろうとか、この質感はこういう風に描くと

             再現できるぞということを知っているということである。

             風景を描くときは、その場所に佇み、目に焼き付ける。

             スケッチ出来ればいいが、屋外であると、人通りがあって邪魔されるのが苦手だったり、

             あまりに光に溢れていたりすると、目が本当に疲れてしまうという問題がある。

             たいていは心引かれた風景があれば、しばしその場に身を置きつつ、脳内で水彩で仕上げてみる。

             その後、記録用に画像に残す。

             人工物がある場合は、念入りなデッサンが必要で、別の紙に時には何枚も描くことになる。

             私は、車両や細かい建築物などにいつも苦戦。

             この画像の風景は、気持ちのいい場所で珍しく何枚かスケッチできた。

             人工物もなかったので、下書きもそこそこに、色を塗り始めて仕上げるまで、大変楽しかった。

 

             よく見て、何枚もデッサンを重ねれば、上手く描けなかったものも、

             その内には描くことができる。

             結果的に、実物を見なくても描けるようになるかも知れない。

             でも、

             上手に描けるとか、再現できるということのひとつ前に、

             なぜ、それを描きたかったのか、そのモチーフのどこに気持ちが動いたか、

             それが、とても重要な気がする。

             上手下手に限らず、思いを込めることが、見る人の胸に迫るのだと信じている。

             少なくとも、私はそれを大事にしている。

 

 

 




霊感?

 

オーラ測定器なるものを使って自分のオーラを見せてもらった。

そもそもオーラとはなんぞや?とも思うが、一般的にも日常で使われる言葉である。

それによると、私はとても霊感が強いのだそうだ。「強いですよね?」と言われて、「いいえ」と即答した。

お化けも幽霊も見たことがないし、こっくりさんもびくとも動かなかった。

見えない何かより生きている人の方がよっぽど怖いと思っている。

未来を予知することもできないし、くじ運もめっぽう弱い。というようなことを話して、会話はかみ合わず。

 

 

ただ、

絵を描いているとき、被写体と同化している(と思い込んでいる)ところは、

正に神がかりであることに間違いはないだろう。

それが風景ならば、ビルになり家になり木々になり風になり水になる。

静物ならば、花に、机にと、瓶になっているときは、身も心も冷たくカチンカチンである(笑)

やわらかい穂などをかいている私は、本当にゆらゆら揺れているので、できれば人に見られたくない。

 

「ケッシテ ミナイデ クダサイネ…」 トンカラリ…

 

最近、人の絵を依頼された。

会ったことのない女性だったが、彼女がその時歌っていた歌を何度も何度も聴きながら描いていると、だんだん彼女が身近になり

やがて同化に似た感情で、彼女がその時見ていたようなものを想像する。

顔に当るスポットや、見守る観客、緊張、そのほかの色々な感情。リズムを刻む指先やら。

大きく開いた口を描く時は、多分自分も声を出しているのだろう。強い大きな声!

それが、絵に全て変わるということである。

数日そんな風に関わって、すっかり彼女と友人になった頃、仕上る。仕上がるというのは終わることである。

「どうですか。こんな感じで」と声をかけても、描き終えた私の耳には、もう何も聞こえないのである。

 

画像は、麻の短冊(100ミリ幅)に友禅で染め描きした猫。

前回述べたように、水彩画のように布に描いてみた。いつもは細心の注意を払うにじみも、これがアジというものさ!と構わず描けたのが

気持ちよかった。しばらくこんな調子で進めていこう。

 

 

 


友禅染

20年ほど前に素描友禅に出会った。

本来の友禅は、作図案、糸目、色挿し、糊伏せ、地染め、洗い、蒸し、水洗い、金入れと、その他幾多の行程を分業で行うものであるが

対して、素描は、地染めも済んだ生地に直接顔彩で柄を置いていく後描きの技法である。

いずれにしても、この日本文化は、自由に自分の個性を出す水彩画と違って、決まりごとや制限の内で、古来の技術の再現と継承である…

と思って20年近くやってきた私であったが…

 

過日、河口湖にある、久保田一竹美術館を訪れた。

久保田氏は言わずと知れた辻が花染めの第一人者である。その着物30枚からなる壮大な連作を目の当たりにして、作品に対する感動

と共に、今までにない解き放たれた気分を覚えた。

なんというか、「自由にやってよし!」と許されたような、というか…

制限や技法にとらわれず、自分が作り出したい、自分が着たいと思うような着物を作ったらどうだ?

自分にしかできないような柄。色。配置。

後日、アトリエに戻って、一気に仕上げたのがこの着物。

小千谷ちぢみに歌川国芳の戯画「金魚づくし」を施してみた。

小千谷ちぢみは、新潟の麻で織られ、雪に晒されてできる辛抱強い夏生地である。張りと、静かな光沢、透けが魅力の伝統着物。

独特のシボに柄を挿すのはかなりの至難であったが、それでも最後まで楽しかった。

下着物の色を拾うスケスケである。

これは、襦袢に凝ろうではないか!

ということで、襦袢にも水紋を描いたら、一緒に着ると、金魚やカエルが水の中にいるイメージになるんと違うか?などと

妄想は膨らむ一方である。

 

素描の友禅の教室の展示会に出展に際、折しも先生がこういった。

「昔はもっともっと自由だったはず。あなたの個性をどんどん出してあなただけの一枚を作りなさい。友禅に禁止の事項なんてありません。」

 

と、いうわけで、次の作は顔彩で、着物に水彩画を描こうかと思っている。

 

 


神経質礼賛

知人からの勧めで「神経質礼賛」という本に出会った。

 

神経質という言葉は世間の使われ方から察するに、どちらかというとマイナスのイメージである。

「あの人いい人なんだけど、ちょっと神経質なところがあるんだよね」と、これは最終的に褒めていない。

そのせいか、自分のことを説明する時に、ともすると「そんなにこだわらないから…」とか「気にしない性質なんで…」

とか言ってしまいがちだが、自分はある面、非常に神経質であると自負している。

…というと、彼方から、\あんなに散らかしててどこが!/とか、\だったら、一人で起きてみやがれ!/だとか

\時間通りに来い!/だとか、やんややんやと聞こえて来そうだが、そして、それには反論しないし(!)

そうだとしても、な~~んも気にしない大らかなイメージでいたいのが事実。

(それ、大らかでなくてズボラだよという意見は却下よ。)

しかし、そんな私が、どうしても大らかにできないのが絵描きとデザインなのである。

人がもうこれくらいで充分でしょうという地点から更にその先に行かないと気がすまない。

これでよし!と思って筆を置くことは本当に少ない。

散々こねくり回してもう止めなければ、と思って終了しても今度は、手を入れ過ぎた箇所を探しては

クヨクヨする。そんなことの繰り返しで、多分、描いている間中ブツブツ独り言を言っているかと思う。

それは、恩返しに来たつうのように、絵を描く私のことは「けっして見ないでください」という図である。

ねちねち、クヨクヨ、ブツブツしている部分は普段は隠している。

出来上がった絵だけ見せて、涼しい顔をしていたい。

と、このように過ごしてきた私は、この「神経質礼賛」を読んで、ストンと気持ちが落ちたように感じた。

あ、神経質でいいんだ。こだわるって、むしろいいことなんだ!と誰かに許されたように晴れ晴れしたものである。

晴れて私の、ねちねち、クヨクヨ、ブツブツは推奨された!

隠れ神経質の方は、是非お読みください。アマゾンで購入できます。

  

 神経質礼賛―精神科医からの応援歌 

 南條 幸弘  著

  こちらから

 

画像は、お礼にと描いた今年の朝顔の絵。葉書寸。薄葉紙のように向こうが透けそうな花。

 

 


描きたいものを描くということ

油彩を志していたものの大学では平面のデザイン科に通った。

果たして、デザインもまた面白かった。

根本的に、絵画で表現することと、いいデザインを造ることとはコンセプトから違うことも分かった。

デザインとは、基本、依頼があって、クライアントの出す条件の制限の中で

造り得る最高のものを造る…というお仕事である。

「要するに、クライアントのツールになればいいわけです」

「個性はいらない。センスを貸すのです」

以降、依頼の意向を汲み取ってその中でオッケーを貰う仕事に身を置くことになった。

デザイナー…カッチョよく聞こえがちだが、大方は地味で地道なストレスの溜まる仕事である。

普段縮こまっているデザイナーが解き放たれるのは、デザイン公募など顧客レスの場合だが、

それだって条件はいくつかある。

もしかしたら、万全の策で作ったデザインがどこかの国の知らないデザインと酷似しちゃうかも知れないのだ。

 

ああ、色数とか気にせずに描きたい!

仕上がり近いのに、スポンサーの意向のもとやり直しとか、もういやだ!

他人から「そんなのちょちょっと描いちゃってよ」なんて言われたくない!

と、こんな風に思い始めたらどうする?

 

そう!かつてそうしていたように、自分の為に描きたい絵を思い切り描くのだ。

誰にも文句は言わせない自分色の絵を。

評価なんか気にせず、自分と向き合って気持ちを筆にのせようじゃないか!

 

というわけで、自分の精神衛生の為に描いている。

そして、どちらかといえば、そちらが主流になりつつあるのである。

 

さて、今回の画像。

シロツメクサとインコというお題で扇に素描友禅で挿した絵。

これは友人からの依頼で、絵もレイアウトも私がおこしたデザインである。

お気に入りの友人の顔を思い浮かべて彼女に合う絵を仕上げる。

たまにこういう、ストレスフリーどころか楽しいばかりのお仕事もあるという例。

 


二本足

みんなが知っていて、形が決まっているものを描くときは少し気を引き締める。

私は、正しく正しく描いてゆく派なので、「あれ?これってこんな形だっけ?」ということのないように

モチーフを何枚か練習描きしたりする。

 

若い頃の話。

オートバイしか持ってない恋人とのデートはいつもタンデムツーリングだった。

全身に風を受けて走ると、ただ後ろで座ってるだけなのに、一日の終わりにはヘトヘトになる。

でも何とも説明のつけ難い高揚感と幸福感がつのり、結果、中型二輪の免許の取得に至った。

オートバイで走るのは自分に合っていたと思う。

自力では立てない二本足。これを駆動によって走らせるのが自分の力量である。

鉄の馬を乗りこなすような感覚でびゅんびゅんと走り回ったものである。

オートバイの形も古いものから新しいタイプまで好きだった。

沢山絵に描いた。(当時はそれが仕事だったので)

 

今回久しぶりにオートバイの絵を描くことになった。

BMWR1100。軽自動車の排気量より大きいオートバイである。

なかなか難題で、本番を描く前にこれまた久しぶりに練習描きをしてみた。

むき出しのエンジン周りのごちゃごちゃほど描き辛いことはない。

空力学に基づいたフォルムを決して崩してはならないという気持ちにさせられる。

う~~難しいよ~~とそれでも何枚か描いていると段々形の中に入っていくような感覚がきて

なんと美しい!と心から思って夢中になる。これは「ペインターハイ」かも知れない。

(聞いたことないけどね)

 

夜の街、街路灯の下に停めてある風景で描く予定。

走り屋バイクのリアにはツーリングバッグ。ロングランのしばしの休憩を

切り取る。

仕上がり後、風景のページに放り込みますので、また覗いてみてください

 

※放り込みました。上のデッサンがどういう風に仕上がったか…


ある犬の絵の話

皮肉でも自慢でもなんでもなく素直な話。

ある青年と、犬の話になった。どんな内容だったかも忘れてしまったが、その際に青年が犬の絵を描いた。

それを見て、私は胸が震える思いがした。

 

 へ、へたすぎる…

 

これは、神に誓って、けなしたり蔑んでいるのではなく、心底しびれた。素直に感動したのだ。

こんなに実物と違うのに、随分と可愛らしく、使いようによっては、キャラクターとかにもなりそうではないか。

そういえば、ある俳優の「かっこいい犬」の絵も商品化されている。

実は、私は、あの俳優は故意に下手で可愛い絵を描いているのだと思っていた。

下手うまなんてありえない!見えるように描けないなんてうそだ!みんなあざとい!と。

でも、目の前にホンモノがあった。下手のホンモノである。

 

キズつけないように恐る恐る言ってみる。

「とかげとかワニみたいな犬だね」

「は?どこをどう見たって犬じゃないっすか?」と、強気。

「でも、耳がないし」

「耳っすか?ああ…そういえばないっすね…」

耳のある無しってその程度の重要性だったのに驚く。しかもこれが犬って信じてる!

気を取り直して、話題の方向を逸らした。

「これ可愛いから、ちょっと手を加えてシールにしようよ」

「ああ、じゃおねがいさ~~す」(お願いしますのこと)

 

で、できあがったものを見せると、まんざらでもないような様子だ。

「他の人には犬にも見えるようにdogって文字を入れといたのよ」

「誰が見たって犬っすよ~。あ!てか、よく見たら火吹いてるじゃないっすか~。

犬に見えないのはこれのせいじゃないんすか~?緑だし~。まったくもう!」

そこか!そこなのか!

もうこうなると、絵が上手い下手とは関係なくジェネレーションとか性格の問題なのかも知れないが、

とにかく、犬が犬には見えないのは私のせいということになってしまった。

 

日頃から、例えば、自分がどんなに沢山絵を描いたとしても何の役に立つのか?という気持ちがどこかにある。

無駄ではないが、しごく有益というわけでもない。

しかし、ひととき、こうして笑いを供給してくれる上手な下手犬の絵もある。

そして、絵の描き方を学んだ自分には、決して描けないというのが、面白いところである。


やっと行けたポルトガル

2015年の夏にスペインポルトガルへの行き当たりばったりの旅を慣行した。

ポルトガルには初めて訪れる。

一向に上達しないながらも10年以上ポルトガル語を習っている身としては、是非ともポルトガル語で

会話したいものだと機会を狙っていたのだが、いざとなるとポルトガル語より先に下手な英語(中学生レベル)が口をつく現状。

 

ある日チャンスがきた。

地下鉄のホームで自販機で水を買う際に、立ちふさがる職員風の男性に「失礼」と声をかけて

「私は水を買いたいんです」と言ってみた。(本当は「ちょっとどいて」と言いたかった)

すると、クリスチアーノロナウド選手似の職員がいきなりわ~わ~と話し始め、頭はパニック。

どうしたどうした?と同行者(アルゼンチン人)が寄ってきて、要訳してくれるには、

「こんな高い水を誰が買うのかと思ってみていたら、実際に買う奴がいて驚いた。スーパーでなら

一本分で半ダース買えるのに!」ということらしい。

同行者が「彼女は日本人だからね」と意味深に答えると、

「誰が?彼女はメキシコ人だろう!」(これは、私にもはっきり伝わった!)とロナウド。

冗談かと思えば、大真面目。遂に私はポルトガル語を高々と語った。

 

Não, eu não sou um mexicana.  Sou japonêsa!!

「いや、私はメキシコ人ではありません。日本人です!」

 

こんな、教科書の最初に出てくる例文のような言葉を普通に使う場面が来るとは思いもよらなかった。

それに対して彼の反応は、「またまた~~~」と手を広げてニヤニヤ顔。

何で~~?とNãoを繰り返しつつ、来た電車にそのまま乗った。

この倭人の顔のどこがメキシコだというのだ?後日この話を友人にすると、「いや、それはアリだね」と言う。

メキシコ人女性が民族衣装で踊るシーンをテレビ番組で観た事があるけれども、そのメンバーの中に

何人も私がいて踊っていたと教えてくれた。(なんじゃ、ソレ?)

…ま、色々な顔があるということか。(100%腑に落ちているわけではない)

ポルトガルに滞在中、一番よく使った言葉は、

「Onde está o banheiro?」(オンデシュタウバーニェイロ?)トイレはどこですか?だった。

これは、スペイン滞在中もまったく同じで、スペイン語では

「¿Dónde está el baño?」(ドンデスタエルバーニョ?)と、とても似ている。

(あとひとつ「No quiero!」これは、しつこい物売りを黙らせる言葉で「いらん!」という意味)

ポルトガル滞在中唯一、この人の話している内容がとてもよくわかる!と思って嬉しかったことがあった。

駅にある小さなカフェの陽気な店員の話はやけにすんなり理解できて、滞在も5日になるとこんなことか!とにんまり。

しかし実際はそんなに甘くない。その話の中で分かったのは、彼がブラジル人だということだった。

さもありなん。ブラポル語なら分かるというのは、私の先生がブラジル人で慣れているから。       

言い換えれば、同じポルトガル語でもポルポル語とブラポル語の間には、それほどの違いがあるという事でもある。

 

歴史ある街並みを保存するため,屋根の色や建築方法にきびしい規制があるとも、地元で出土される赤土を

素焼きにして屋根瓦を作るからとも言われているが、ポルトガルの街並みは白い壁とオレンジの屋根が特徴である。

高台から見下ろすと、空の青と街の白とオレンジ、そして木々の緑がシンプルに飛び込んできて、

ああ、私は今ヨーロッパにいるんだなと強く思わせてくれるのである。

描きき下ろしたスケッチはサンジョルジェ城の丘から見える風景。

これぞポルトガル!という景色。


星々の内外

前述の通り、私はフラメンコにどっぷりはまった。

とは言っても、踊りたいと思ったことは一回もなく、ただ、ライブや練習を観て、スケッチしたりしているうちに、

ライブの途中で気が高まってくると皆が叫ぶ「ハレオ」を自分もかけたくなった。

それも「いいぞ!」とか「行け!」とかの短いものでなく、ナンダカンダと自分の言葉で話したくてスペイン語を勉強し始めることに。

かくして、アルゼンチン人の友人のところへ通い始めた。(アルゼンチンの公用語はスペイン語)

しかし、彼は忙しかった。建築業の彼は、日本で暮らす日系ブラジル人の為に家を建てるのだが、当時その数がどんどん増えていたから。

困った人をほって置けない彼は、次に、永住を決めたブラジル人の為の学校まで開設してしまった。

その忙しさに比例して私の授業は割愛されていく。出かけていっても、彼とコンタクトすら取れぬまま帰ることが増える。

ある日のこと。

 

「そうだ!ただ待っていても仕方ないからあなた、日本語の先生になりなさい!」

「そんなことはできないよ。そんな資格もないし」(そもそも、どうしてそこに話が繋がるのかがもはや意味不明)

「自分の国の言葉を教えるのに資格なんていらないでしょ。」

「いやいやいやいや」(論点が完全に…)

「本当の先生はいるから大丈夫、でも、彼はブラジル人ね。たまに間違えるからその時”間違ってるよ”と言えばいいだけ!やりましょう!」

「………」(やりましょう!…って…)

 

なんと、わたしは日本語の先生の助手になった。

不安とは裏腹に、ブラジル人は陽気だし、飽きやすいところはあるけど、日本語を勉強しようと思う人たちはおおむね真面目で気持ちがいい。

と、楽しかったのはここまで。

ある日、

ブラジル人先生が逃げた!

そして、生徒さんと助手の私だけが残った!

助手から教師への昇格を徹底的に拒んだにも関わらず、生徒さんたちのすがる目に負けて

あっという間に私は彼らの先生になっちゃったのであった。

 

助手の時は気軽だったものの、先生というのは、ただいればいいというわけにはいかない。

「こんにちは」とか「わたしは○○です」の助詞「は」は「ha」と書いてあるが「wa」と読まなければならない…

なんていう説明を日本語だけで理解してもらうのはほぼ不可能なのだ。

そこでどうしたか?

 

結局私は自分でポルトガル語を習い始めた。

 以上がよく聞かれる なぜポルトガル語なの? の答えである。

 

最初の先生は、頭のいいポルトガル人で、日本語能力検定1級に軽々合格した秀才である。

彼の日本語の指導を聞いて、私は正しい日本語の美しさに感動した。日本語は本当に細やかな言語である。

そして、その形容詞の数だけ、私たちは膨大な感情と共に生きている。

そんなことに今更ながら気づく。

今の先生は、更に頭のいいブラジル人で、彼の自在に操る豊富な日本語の語彙にまたもや感動する私である。

(たまに、ああ、そんな言葉もあったわね~と思う)

と、考えると、ポルトガル語を教えてもらうと同時に私は日本語も再習得しているといえよう。

人生に無駄はないのだ。

 

さて今回の冒頭の絵はkirieというギターとボーカルのユニットの「音景」というアルバムの為に描き下ろした作品。

これを仕上げたくて、降るような星を観に夏のスキー場に出かけた。

人の存在をミクロにしてしまう大自然。

 

母国語も外国語も難しい。そして、コミュニケーションとして大切である。

しかし、矛盾していることを承知で言うなら、このような壮大な自然の前に人が想う事はただひとつ。

 

「言葉はいらない」である。

 


フラメンコのこと

知らなければ、フラメンコと聞けば、薔薇をくわえてタンタンと耳元で手を叩くアレね!と思う人もいることだろう。

分かる分かる。私もそんな感じだったから。

 

ある日立ち寄ったバーが空いていて、たまたまカウンターの端にいた女性と話し始めたのだが、

その女性がフラメンコの踊り手であった。それがきっかけで、本当のフラメンコを観ることになった。

そこで、ちょっと自分でも面食らう程の衝撃を受けた。想像していたのと全然違う。

血が沸きあがるような心に秘めたパッション…ひとことで言えばこんな感想であろうか。

それは長い道のりを漂ってきたヒターノ(ジプシー)の強さと哀しさの踊りであった。

「そう!心に哀しさを抱えていない人には本当のフラメンコは踊れないし歌えないんじゃないかな」と彼女。

そんな彼女が踊った嘆きの踊り、シギリージャはその頃家人を亡くした私の気持ちをえぐるように捕らえ、

同時に綿のようにくるんだものである。

 

哀しいばかりではない。アレグリアという喜びの歌もある。

盆踊りのようにクルクル踊るセビジャーナスを始め楽しいフラメンコは密かに日本で人気で、

お祭り文化の日本人の郷愁と同調するのか、スペインはアンダルシア地方の踊り手を全部合わせたより

東京都内のフラメンコ人口のほうが多いともいうから、それが本当だったら驚きである。

 

日本の恵まれた踊り手は十何万円もする豪華な衣装に身を包み今日も華麗に舞っている。

 

このクロッキーのモデルは、前述の彼女の師匠であり姑でもあるアンヘリータ・バルガスで、

伝統的なプーロフラメンコのバイラオーラ。第一人者である。

でありつつ、彼女は十何年前の擦り切れた質素な衣裳を着回して、素晴らしい踊りで観る人の心を、

ぎゅっとわし掴む。

 


一等はじめの旅

若い頃は、余裕も興味もない為に日本以外の国にまったく目が向かなかった。

この時代に一度も海外旅行したことがないなんて逆に面白いよねぇなどとうそぶいたり。

しかし、ある人に「行かなきゃ分からないでしょ」と言われて、そりゃそうだと

初めて行った海外は当時妹が住んでいたベルギー。

 

一人で飛行機に12時間乗り、まずはシャルル・ド・ゴール空港に着き、おお!これがフランスか!と感動していると、

出国手続きも済んだゲートの手前で止められた。

その時の私の出で立ちといえば、髪はソフトアフロ、適当なTシャツとビリビリと(わざと)切ってある

ジーンズ、大きなトランクの他に、「蒲郡みかん」のロゴがビシッと入った段ボールを引きずっていた。

お迎えの人たちがガラスの向こうで見物する中、荷物を全部開けさせられた。

その時は、なんで?どうして私が?とひどく理不尽な思いだったが、後で考えると、明らかに怪しい。

日本のパスポートを持っているものの、東南アジア色あるいは南米色の強い顔立ちである。

ボロッとした身なりに怪しい荷物。やけに髪が大きい女一人旅…いけないものを隠し持ってる風情に見えなくはない。

困ったのは、荷物の説明をいちいちしなければならないところである。

「これはなんだ?」(これは英語でそのくらいは分かる)

とその中の黒いビニール袋を指差されたが「分からない」としか答えられない。

「どうして自分の荷物なのに分からないんだ?」と(多分)聞かれても

「それは、ベルギーに住んでいる妹の為に私の母から言付かったものなので、私自身はこれが何だかは知らないのです」

と、私がとっさに話せると思う?「ザザザザザッイズ、マ、マ、マ、マイマザー ヲズズズズズズ…」  

というどもりながら更に怪しさを増して行く中、その黒いビニールの中から何が出てきたか?

 

 竹の子の水煮

 

またもや弾丸のような「これはなんだ?」攻撃。

切羽詰った私が汗を噴出しながら出した答えは「バ、…バンブー」

制服のフランス人たちは口々に「バンブー?」「バンブー?」と繰り返す。

で顔を見合わせ嫌顔で首を振っている。

その態度の裏には明らかに不可解なことへの侮蔑が混じっている。

「は?竹?竹っつった?竹食うの?パンダじゃね?ちょっと日本人ウケるんですけど」(意訳)

と、現代日本語に訳すとこうじゃないだろうか。

しかしその間、私は、「やっぱ、ただバンブーでなくてバンブーチャイルドかな~あ??」とかクヨクヨしていた。

 ※本当は bamboo shootとか bamboo sproutが正しい筍です

 

その後、竹の子の水煮が、輸入規定に抵触するチーズではないことが分かったところで開放されたが、

妹には、ちゃんとした大人の格好で来てよね!と叱られる始末。綺麗な格好をすると泥棒のカモになるという噂は

すでに過去のものとなっていたらしい。

 

初めてのヨーロッパは、空気が軽かった。風も空も軽い感覚。

軽さを縫って太陽光線がダイレクトにビッと来る。あちこちに連れて行ってもらったけれど、

いつもこの空気の軽さが付きまとって、私の最初の旅の印象になった。

目を閉じても、まぶたの向こうに明るい太陽が見える。

絵を一枚描いた。 

ベルギーの市庁舎。あちこちデッサンも無視されていて、あらら~と思う出来栄えではあるけど、

ポワンと青い色付けを見ると、あの一番初めの旅が蘇る。

その次でもその次でもなく、一等初めの旅である。

写真で表現できる技術も人並みで、文で語れるほどのボキャブラリーもない私だが、

こうして絵に残すことで、当時をありありと思い起こせるのは、幸いである。

 


心臓が息の根を止めるまで

美術学校時代、夏季休暇に向けて「人の顔を100描く」という課題がデッサンの教授から出された。

人物はそれほど苦手ではなかったので、内心「軽いぜ!」と思ったのが大間違いで、15枚描くだけで

息切れ、描く対象も底を尽き、分厚いスケッチブックの残りの枚数にうんざりざりざりザリガニ気分

(これは当時の友人が考えた最高にうんざりしたときの表現)であった。

生きたモデルがいないので、仕方なく雑誌の写真を見たり、テレビを見ながら1秒クロッキーをしたり

とにかく残を消化することだけを考えて描くわけである。

そんな風にしてでも、へのへのに毛が生えたくらいの雑把な絵を描きなぐり続けていき、およそ8割を

潰した頃にある日突然それはやってきた。

 

かつて大学受験対策で絵の塾に通っていた頃の話。

登塾初日、顔を合わせた、それぞれに「腕におぼえあり」「学校イチ絵の上手いと呼ばれた…」

(私を含む)高校生らの高く伸びた鼻を、講師はことごとくポキポキと折っていった。

「へたくそ!」と生まれて初めて言われたのは私だけではないはずだ。

「輪郭を描くな。自然界に輪郭はない」

「影で形をとらえよ」

「質感を掴め」

など、現在私が偉そうに生徒さんに対して言っていることは、ほとんどはこの頃の講師の教えである。

でも、言われてすぐにできるものではないことも嫌というほど知っている。

かくして受験間際まで私は「へたくそ!」と言われ続け、半泣きでこれでもかこれでもかとデッサンをしていた

そんな中で、ある日ある時、何かが小さくパリン!と割れる音がしたようなそんな感覚を覚え、そこから少しずつ

霧が晴れるように「本当のこと」が理解できるようになってきたのであった。

講師からは「へたくそ!」とは言われなくなった。さりとて褒められもしなかったけれど、でも、

初めて「そうそう。それそれ」と肯定された時のことは忘れない。

 

話を元に戻そう。

暑い夏の若き日、かつて聞いたパリン!という音が再び聞こえたというわけ。

これは理屈じゃあない。(オカルトでも勿論ない)

嫌でも描いているといつか訪れる、不可能の薄壁が割れる音というか。

生物の顔のしくみ…頭蓋骨の眼窩に眼球がはまっていて、皮膚の切れ目からその一部が見えている

それが「目」だということ、同じく頭蓋骨に植わっている歯列の一部がこれまた皮膚の切れ目から見えている

のが「口」だということ、鼻の穴のしくみ、皮膚の下の表情筋の意味とかなんとか、

そんなものが急に腑に落ち始めたのだった。

そして、それを皮切りに急に上手くなったとか、そんな映画みたいな話は全くなかったが、

少なくとも、レオナルド・ダ・ヴィンチにおける、解剖学と絵画の関係性はいたく納得できた。

 

好きなTVドラマ「Spec」で年配の刑事のこんな台詞がある。

 

 真実が見極められないから迷う。 

 迷うから我を失い、亡者にとりつかれる。 

 だからこそ、心臓が息の根を止めるまで真実を求めて直走れ。

 

「直走れ。」の部分を「ひた描きつづける」に替えて今日の私があるというお話。